ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

さようなら我らが日本青年館

本日、テニミュ3rdシーズン不動峰公演が東京千秋楽を迎える。
そして新国立競技場建設の為この公演をもって閉鎖・取り壊しになる。
テニミュを見に行きたいと言う欲よりも、青年館に行きたいと言う思いがこの一週間すごく強かった。でも色々都合がつかなくて結局思い出の青年館にはさよならも言えずじまいだ。

首都圏に住んでいる現役ミュヲタで初めてのテニミュが青年館って人とJCB(今TDCか)って人の割合どのくらいなんだろうか。わたしにとって日本青年館は、初めて生でテニミュを見た場所。2005年8月、1stシーズンの関東氷帝で、初めて座ったのはH列の53番だった。それまでDVDの中でしか存在しなかった世界がリアルタイムで目の前に存在するあの興奮、今でも本当によく覚えてる。あのぞくぞくキラキラした感じ、完全に天衣無縫だったと思う。
まだあの頃は出待ちが公式お見送りとして公認されていて、階段下にロープ貼られてそわそわしながらキャストが出てくるのを待って、タクシーに乗り込んで行く柳に「お前ら愛してるぜ!」とか言われてギャーギャーしてた。制服でそれをやっているとおばさんに「ガキはさっさと帰れよ」とか悪口言われたりして、こーいうおばさんにはなりたくないなぁと思ってた記憶があるんだけど、10年経ってわたしはそのおばさんたちと同じくらいの歳になってしまったなぁと絶望する。

JCBに比べたら駅から遠くて、外苑前使っても千駄ヶ谷使っても遠い。夏公演の時は死ぬほど暑くて冬公演の時は死ぬほど寒い。ほんとうに勘弁して欲しい立地の悪さ。
けどそこがよくて。行きは千駄ヶ谷からだと東京体育館の裏でリアルにテニスの練習をしている青年たちがいて、外苑前からだと部活帰りの青山高校の男子高校生たちとすれ違える。そんな現実世界を10分間眺めながら青年館に着くと舞台の上でもう1つの世界が動いている。帰りは友達とあーでもないこーでもない言いながら、時には忘れないうちに!と記憶したてのナンバーを口ずさみながら、10分じゃ足りなくて駅前でそこから1時間とか、そんな事が楽しかった。

10年通ってる(と言っても後半ほとんど行く事はなかったけど)と段々千駄ヶ谷マスターになってくる。マチソワ間でも混まない穴場カフェとか、汚いけど安くて美味しい居酒屋とか、他のヲタクに目撃される事なくキャストに手紙を書けるスポットとか。学生じゃなくなってからはなかなか難しくなったけど、大学生の時はそんな場所を探索する時間もすごく楽しかった。

2005年の8月、今年の夏で10年。今まで好きになったどの俳優よりも青年館とわたしの付き合いは長い。今まで好きになってきたミュキャスを初めて生で見たのも全部青年館だったし、今でも付き合いのある友達と初めましてしたのも青年館のあの階段の下だったりするし、あの場所でこの10年間沢山泣いたし沢山笑った。
下手したら高校より大学より思い出の場所かもしれない。そんな場所がなくなってしまう事が本当に悲しい。ホテルは移転・新設するらしいけど大ホールはどうなんだろう。詳しい事は知らないけど、もし移転するとしても、わたしが沢山の素敵な時間を過ごした青年館はなくなってしまうし、もう休憩時間に半券片手に外のトイレまでダッシュする事もないんだと思うと寂しい。

靖国の桜の下で会おう」と言う台詞があるけど、青年館の入り口階段の下にある大きな木が多分わたしたちにとっては靖国の桜みたいなもので。取り壊しにあたってあの木も切り倒されてしまうんだろうけど、あそこで出会ったキャストや仲間たちには、またあの木の下で再会出来たらいいのになーと思う。

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↑公演見なくてもいいからこれだけは本当に参加したかった!悔しい!

 

さようなら青年館、また逢う日まで。