ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

からっぽな、わたしと言う入れ物

 5月半ばに誕生日を迎える。
ここ数年毎年誕生日の度にアラサーだアラサーだと喚き散らしてきたけど、そろそろアラサーではなくジャスサーへのカウントダウンが始まっている。25.26歳の頃の「アラサーだw」はまだ余裕があるのだ。それ以降の「アラサーだ・・・」はなんとも悲観的で、ジャスサーを超えると今度「アラサーだ♪」と今度は自分を若く見積もる魔法の言葉になっていく。

ここで実年齢を公言した事はないけどここまでいくともう言っているようなものなんだね。それでも頑なにわたしが年齢を数字としてここに書き示さないのは、わたし自身が自分の年齢に関してとても引け目を感じていると言うか、老いる事が死ぬより怖いと言うか、要するにわたしは年齢コンプレックスの塊なのだ。

子供たちの大半は「早く大きくなりたい」「早く大人になりたい」と願っている。わたしだって中高生の頃までは、「わたしたちはお金を貰えない授業を1日受けてからバイトで稼いでるのに社会人は1日お金稼ぎに時間を費やせる、不公平だ!理不尽だ!」とひたすら社会人のヲタクを妬んでた。でも人間「早く大人になりたい」がどこかのタイミングを機に「年を取りたくない」に変わっていく。

とにかくわたしは自分の年齢に嫌悪感を抱いている。この年齢はどんなに努力をしても億万長者になっても抗えず人類平等に与えられているもので、見た目や中身の事は置いといて、1年の時間が経過したら全員平等に1歳歳を取る。わたしがどんなに努力してもオードリー春日の好む年上熟女にはなれないし、わたしが佐々木希以上の美女になっても間宮祥太朗の同級生になる事は出来ない。それはわかっているはずだ。
でも、自分の名前の後の(XX)って言うかっこでくくられた数字が増えていく事がものすごく気持ち悪いし、一生これがついて回るのかと思うと人生に絶望しかしない。この前まで若い子扱いされてたはずなのに、わたし気付いたらもうこんな歳になってる。10代の頃ババァババァと散々馬鹿にしたいい歳こいてヲタクをやめられないおばさんたちと同じ年齢になってる。怖い。

わたしの年齢コンプレックスの根底にあるのは多分、自分が昔思い描いていたその年齢の女になれてない事への絶望だと思う。
小学校の頃は若いお母さんに憧れて、16歳から結婚出来ると知ったその日からわたしは16歳で結婚して16歳で子供を産むんだと思っていた。子供の中学の授業参観に行く30歳の自分を8歳や9歳の時に思い描いていた。
中学校、高校になるとさすがにそんな訳あるかいって思って、それでも大学時代付き合った彼と卒業と同時にゴールイン、25歳までには子供を産んで、30歳ではガーデニングとお裁縫が好きな専業主婦になれると思っていた。
20歳を迎える頃、まだ将来の伴侶と出会ってないと言う事は上記プランも難しいのでは、と言う判断を下し、社会人になりたての頃に出会った人と3年くらい付き合って結婚、30歳までに2人の子供に恵まれて35年ローンのマイホームを購入、よしこれで行こう!と言うプランに変更した。
そして現在、地元の既婚率が50%を越えてしまい、小中学校の頃にまだあの子は中身が子供ね・・って見下していた友達たちがぼこぼこ出産して立派に主婦をしている。わたしはようやく定職に就き、スキルアップの転職と言うよりもやっぱり向いてないんじゃないかと言う超ネガティブな理由からの転職を考えていたりする女としての生死の狭間をここ2年くらい彷徨っている。

そう、充実していないのだ。人生が。わたしは別にリアルが充実してなくてもいいけど人生は充実していたい。別に上昇志向でもないしお金が大好きな訳でもないから大きな夢とか野望とかはない。だから、その充実と言う箱が何十平米もある大きさじゃなくていい。別に座布団くらいのサイズでいいし、言ってしまえばマグカップくらいでもいいから、持っている入れ物の中になみなみ注いだ充実感が欲しい。

毎日楽しい事がないだ人生が充実していないだって言う割に、多分そんなに絶望するような生活をしている訳ではないはずだ。友達は多い方じゃないけどいない訳じゃなくて、地元の友達・元バイト先の同僚、後輩・高校の仲間・大人になってから出来たヲタ友、各方面に少しづつ気の置けない友達はいる。辛い事があったら話を聞いてくれる友達も彼氏もいて、都内の実家暮らしで仕事から帰ってくると出来上がった夕飯があって。
でもそれは全部わたしの周辺環境が整っていると言うだけで、わたし自身が豊かである事とは全く関係がない。わたしと言う人間が実年齢に対してどれだけ能力も経験もなくてスッカスカなのかと言う事を感じる度に、わたしはわたしに絶望する。
今までは周りの事も将来の事も気にしないでヲタクをやってきたからこんなに我に返って絶望する事なんてなかった。でも最近若手俳優やらイケメン舞台やらと若干の距離を置いて、ヲタクではないイチ一般女性として自分を俯瞰的に見た時に、「Oh、なんてカスみたいな女なんだ!!!」と絶叫してしまいそうになる。後悔してもヲタクだけやってきた10年間は戻ってこない。テニミュはシーズンが変わって1から焼き直しが出来るけど、わたしの人生の2ndシーズンはやってこないし、このまま全国大会決勝を迎えたら不動峰公演には戻れない。

今更ひどく焦っている。こんな話を年上のお姉さまがたにすると言っても20代だしまだいくらでも軌道修正がきくでしょって言われるけど、こんなに今の状況の自分が嫌だとかこのままじゃお先真っ暗だと言いながらも、必死に何かに取り組むと言う努力をこの10年くらいひたすらサボって、努力せずに済む道を探して逃げて来たわたしには軌道修正する気力も度胸もなくて、そんなバイタリティやらモチベーションやらは10代の頃の自分に全部預けてきてしまった。ガソリンやニンジンになる程好きなものも特にない。そんなわたしの体と心を誰が前に押し進めてくれるんだろうか。

以前書いた事があるかもしれないけど、わたしは自分の年齢に嫌悪感がありすぎて年下の女子への嫉妬心がものすごい。別に悪い事なんてなんもしていないのに、わたしより若いと言うだけでわたしにとっては嫉妬の対象。それでいて恋愛だ仕事だって悩んでいるとわたしの年齢になるまであなたにはあと○年も猶予がある・・と嫉妬が羨望に変わる。逆に年上のバリキャリ女子たちを見ても、劣等感にまみれて自分はなんて無能で価値のない人間なんだ・・・と自分自身を全否定してしまう。もうわたしは誰と付き合ったら上手くいくのか!わたしより年収が100万以上高い3歳下の後輩と対等に話せている自信がないし、勤続4年や5年で役職のある立場に昇給した同級生たちと話していてもわたしの事見下してるんだろうなぁとものすごく後ろ向きな事しか思えない。あーあ。・・・あーあ!!

全ての不調の原因を追究してみると、「一般人に戻ろうとしているから」だと言う事に気付きまたふりだしに戻る。のんべんだらりと働いて、貯金をしないでチケットと貢物を買って、最前列で舞台を見ると言う事がわたしとってどれだけメンタルを安定させていたのかと言う事を改めて感じる。あの世界にいる時は自分と言う入れ物の住み辛さをこんなには感じなかった。手塚役が年下になっていったり、新しく知りあったヲタ友と歳が5個以上離れていたり、自分のおばさんっぷりを感じる瞬間はあっても、こんなにこの年齢を生きている自分を苦しく感じる事はなかった(キャラクターと違って好きになった俳優たちも自分と一緒に年を取っていくと言う三次元特有の現象も、わたしをこの年齢になるまであの世界から抜け出せなかった原因の1つかもなぁ)。

でも今、っていうかとても今更、「何やってるんだわたしは?!」的な後悔が一気に襲ってきてしまい、俳優ヲタと言う名札をなくしたわたしと言う存在は一体何を名乗ればいいのかがわからない。趣味も休日の過ごし方も俳優と全て連動していたので、一般人になったと言う事は趣味も休日の過ごし方も空欄になってしまうと言う事では??どうしよう??ヲタクとして鼻息荒く生きてきても(一般女性・会社員)としては何も特筆すべきところがないどころか年収もスキルも平均以下なんですけどどうしたら??好きを仕事にするって夢すらもう見れないお年頃なんですけどどうしたら???

今の入れ物をどこかのごみ置き場に捨てて、23歳くらいの入れ物が欲しい。特段ブスだったりデブだったりしなければ普通のやつでいい。23歳の入れ物をくれたら、それに今のわたしを入れて、一般人として体と心で二人三脚していくように頑張るから。

 


ユニクロなどの無難な服装に落ち着けばいいんだが人間急には止まれないのでゴスロリだろうがパンクだろうがギャルだろうが若いうちに好きな格好をするのはいいけど見切りをつけたい年齢になる何年か前からその濃度を少しづつ下げていかないと大変な事になるから気を付けた方がいい。
わたしは実年齢以上に見られる事がほとんどない事をたまに自慢してしまうけどそれは今散々述べた、中身が外見に合致していない事の他に年相応の服を着ていないからだと友達に指摘された。
InredとかGinaとかよりnon-noとかminaを読んでる方がわくわくするから駄目なんだって。HeatherとPAGE BOYをアラサーは着ちゃいけないんだって。

 

はぁ、大人になるってめんどうな事ばっかりだ。