ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

「いつもありがとう」って魔法の言葉だよね

数日前からTwitterでこの記事が話題になってるね。
この人の認知の対象はジャニーズJrなんだけど、記事の中で伝えている事はこっちの畑の人間にも痛い程わかると言うか、むしろこっちの畑の人間の方が感じるんじゃないかな。

わたしの周りにはジャニヲタが沢山いる。出会った頃から今までずっとジャニヲタだった子もいるし、俳優ヲタとして出会ったけど気付いたらジャニヲタになっていた友達もいるし、ジャニヲタだったけど気付いたらこっちの畑に引っ越してきていた人もいる。
色んな移住パターンがあるけど、俳優ヲタからあっちに引っ越した人たちの多くは、この記事で言うとこの「見られたい欲求>見たい欲求」の不等号が逆になったと言う。俳優ヲタをやっていた時は、沢山のヲタクの中からわたしを見つけてくれて、握手ではこっちから名乗らないでも名前を呼んでくれて、手紙に書いた内容まで覚えてててくれる。それが何より嬉しかった。でもそれを維持する事に疲れて、周りの同厨たちに段々殺意が沸き、負の気持ちでしか応援が出来なくなって、いつしか見られる事にお金と情熱を注ぐよりも、より高い存在を見る事にお金の情熱を注いだ方が自分のヲタク人生が豊かになると判断するのだろう。

この匿名ダイアリーの主は、がっつり出待ちとかまでしてたみたいだけど、ジャニヲタの大多数はその領域まで行かずキラキラしたステージ上の彼を見つめるだけで多分幸せだし、うちわに反応をくれたらものすごく興奮するけどうちわを持っている女がわたしだと言う事を彼が知ってようが知らなかろうがそんな事はどうでもいいんだと思う。
そりゃ勿論わかってくれた方がいいに決まってるけど、Jrじゃないデビュー組に今更ハマって積まずにコンサートに通い詰めてもわたしが誰かに認知される可能性なんて限りなくゼロだと思う。

でも、その「認知される」と言う行為がこっちではいとも簡単にクリア出来てしまう。イケメンワラワラ舞台に出てる若手俳優のヲタクの数なんて超人気クラス(それこそ拡張さんとか)とは言えジャニタレに比べたらたかが知れてる。ジャニヲタだったら良席入らないと(積まないと)、待たないと難しいかもしれない認知が、わたしたちは定価で足繁く通って握手会にふらっと言ってコンスタントにお手紙でも書いていれば簡単に出来ちゃう。お金もかからない。コスパも良い。「見られたい欲求」を簡単に満たす為にジャニヲタからこっちに流れてくる人も多い。でも多分あの日本で確立されたジャニーズ事務所と言う組織は、「見られたい」を打ち砕く程の「見たい」を満たす何かを持っていて、どんな有能な科学者や心理学者でも解明出来ない特殊な空気で世の中のヲタクたちをずるずると世界に引き込む。結果、俳優ヲタやってた時にはその俳優と友達みたいなレベルでめっちゃ仲良しだった友達たちがじゃんぷやJrのヲタクになって天井席でうちわ振って大興奮してる。どっちが幸せなのかは勿論その人の価値観。

出待ちをしなくても認知を貰うのは簡単だけど、勿論それ以上の欲求に駆られたこっちの畑の人たちの一部も同じように出待ちをする。してない人よりはしてる人の方が認知スピードが速いのは間違いない。別にわたしは出待ちはいいとも悪いとも思わないし、禁止されてようがやる人はやるし、やって仲良くなるもやって嫌われるも別に自己責任だから好きにすればいいと思うのでここで是非は語らない。
だけど、それを抜きにしても、なんとなく認知厨って同厨から嫌われている気がする。それは、上記の匿名ダイアリーの、

「認知されている」優越感はものすごい。何も持っていなくてもピンポイントで手を振ってもらえること、ある程度遠くの席でも見つけてらえること、周りのファンから羨望の目で見られること。 でもそれは絶対的な優越感じゃなくて周りのファンとの力関係を前提にした相対的な優越感だから、毎日毎晩不安に苛まれている。

 こーいう事で、認知されるまでは周りのヲタクを出し抜こうと必死で、認知されたらされたで優越感に浸りながらも、自分のこの地位を脅かすヲタクがいつ出現するのか恐怖に苛まれながら常に鎧甲冑を着こんで臨戦態勢になっていなければならない。そんなヲタク周りから良く思われないよね。

その上、良席で入る為に積む層もいて、コンスタントなお貢ぎを納める為にキャバで働く層もいて、そう行った行為を重ねて認知を貰って優越感に浸っている人たちを「悪」と捉えるのが慣例になっている気がする。
あんまり色々言うのはアレだけど、俳優を一番近くで見る為に積む事も、貢ぎも、ヲタクとしてのアイデンティティだと思うし、愛情の一つだと思うし、それを一概に悪と捉えるのはわたしは微妙に違う気がする。

俳優ヲタを10年近く続けてきて、一番最初にわたしを認知してくれたのは宮野真守だった。出待ちとかはしてなかったけど、握手会と舞台と手紙だけでしっかり覚えてくれて、プレゼントしたものを覚えてくれて、あっちから着てるよって言ってくれたり、今では考えられないけど、とにかくあの人は全然お金を使っていないしがない学生のわたしにもものすごく優しかったし、「いつもありがとね」ってあっちから言ってくれるのってなんて幸せなんだろうって思った。
色々あって真守のヲタクをやめて、他のミュキャスに乗り換えたんだけど、わたしは対応の良し悪しを真守ベースで考えてしまうから、どのキャストを追っていてもなかなか幸せにはなれなかった。今の俳優の1つ前に追っていたキャストはもう笑えるくらい塩対応で、舞台での姿が好きだったから結構耐えてたんだけど、やっぱり辛くなってしまって、そんな時に突如わたしの目の前に現れたお調子者が彼だった。
好きなとこはどこ?って聞かれて色々出てくるけど、結局は多分優しいところなんだと思う。10年間わたしを見て来た友達は、「7年ヲタク続けてられるのってあんたが辛抱強い訳でもあいつが魅力的な訳でもなくて優しくしてくれるからでしょ?」って言われて否定出来なかった。確かに、わたしの事をあっちが全く知らなくて、尚且つ塩対応だたらとっくに降りてる。
わたしは認知厨だし対応厨だし良席厨だ。覚えて貰えなきゃ追い続ける事なんて出来ないし、お金をかけただけ対価としてときめく対応をして欲しいし、誰よりも良席で推しを見たいし、彼の視界に入らない席で見るくらいなら見ない方がマシ。そんな考えで俳優ヲタを続けてきた。この考えは人に咎められても別に直す気はないけど、このスタンスに嫌悪感を抱くヲタクは多いだろうし、現にわたしは多分今沢山の同厨から嫌われてるだろう。まぁそれももう今更どうしようもないからいいんだけど。

顔が好き、芝居が好き、声が好き、考え方が好き、ダンスが好き。それぞれのヲタクが今追ってるタレントを好きな理由ってあると思う。でもわたしの中で「わたしをわたしとして認識している」と言う事は、好きな理由の大前提に存在しているんだと思う。応援している対象が同じであっても認知厨と観てれば満足層の間には大きな溝があると思う。
茶の間でキャッキャしているジャニヲタの友達も、がっつり全通してがっつり貢いでる認知厨・対応厨の友達も、そのタレントが好きって言う気持ちには違いないし、どっちが正しいとかそういうのは存在しないと思う。別に見られたいと思ってしまったっていいじゃないか。だって好きなんだもの。はなを。

「いつもありがとう」の言葉の魔力ってすごいよね。わたし低燃費だからそれだけで頑張ろうってなっちゃう。でも初めて握手した俳優にいつもありがとうって言われたりする事もあるよ。あと行ってない舞台なのに「この前○○来てくれたよね?舞台から見えてたよ★」とか軽率に言うのもやめようね。間違えるとヲタクの士気下げちゃうから気を付けてね俳優の皆さん。

2014年から一般人に戻ろう計画をしていて大分仕上がって来たところに主演舞台がまた決まってしまった。ゆるい気持ちで行こうと思ったけど最前に入れない事を想像したら吐き気がした。追う頻度はゆるくなってもスタンスは簡単には変わらないものだね。


何が言いたいか全くわからなくなってきたから終わろう。