ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

その時わたしたちに出来る事なんて何もない

この方のブログは前から購読している。好きなものはかぶってないけどヲタクが頑張って彼氏作ってる下りがとっても共感出来て。
別にお知り合いではないけど、WaTのニュースを聞いたときに大丈夫かなって思った。そしたら案の定ものすごく辛い記事を書いていて、それが俳優垢でもたくさん回ってきた。
WaTのヲタクは周りにいないけどジャニヲタも俳優ヲタもきっと皆昔好きだったり今もゆるく好きだったりするだろくし、何より今回WaTに起こった事は生身の人間を追ってる身としては誰も他人事ではない。いつかやって来るかもしれない、今大好きなグループやメンバーのその日の事を考えて全ヲタクが苦しんで悩んで涙してるだろう。想像するだけで皆胸が張り裂けそうになるのだから、当事者は計り知れない絶望に苛まれてると思う。

本当にこのエントリーのタイトル通りで、ファンってなんなんだろうね。
儚いと言うか、あまりにも彼らにとってわたしたちは無力だ。
そりゃ、CDを山ほど買ってあげたり、舞台で巨大な花を出してあげたり、物販の写真を買い占めたり、偉い人にこの人人気あるんだ!って思わせて、その子の仕事を増やしてあげることは出来ると思う。高いブランド物をあげてその子の生活を豊かにしてあげる事も出来ると思う。
青春鉄道の楽挨拶で、永やんが、「愛とは、つまりお金です」と言ったらしい。ものすごくストレートな言葉すぎて笑ってしまうけど、その通りで、わたしたちは所詮、お金を出す事でしか彼らを応援出来ない。
そんなわたしたちの応援は、なかなか売れなくて食っていけなくて、生活の為に役者やアイドルを諦めなきゃいけない人の引退を阻止する事はもしかしたら出来るかもしれない。まぁ1人の人間に対してヲタク1人が頑張ったところで多分どうにもならないけど。
他にやりたい事が出来たとか、方向性の違いとか、そーいう意識的な理由で解散や引退を考えたのなら、もうわたしたちに出来る事はゼロだ。
皆さんの応援のおかげで僕たちは頑張れます!ってあんなに沢山言ってる癖に、応援してくださる皆さんの気持ちなんて結局最後は御構い無しで彼らはわたしたちの前から消えていくの。

こうやって書いてみると、全然ヲタクの事考えてない身勝手な行動に思えるけど、別に彼を応援する事は誰かに強要された訳じゃない。
こんなに時間と手間とお金を費やしてきたのに、こんなに愛を注いできたのに、って言うけど、それって誰にも強要されてない。
自らその彼を選んで、自ら時間とお金を使って、勝手に応援して、最後はこうやって勝手に被害者になる。別に誰も悪くない。悲しみも怒りもぶつける矛先がわからない。

でも脱退や解散で落ち込んでる人見ると、芸能界に残るだけよっぽど幸せだよって言いたくなる。
そのグループやユニットにいる彼を応援してきたり、箱推しだったりする人にとってそこからいなくなってしまう事自体本当に悲しい事なのはよくわかるけど。

わたしは柳と遠藤さんと一太郎の3人だった時からD-BOYSを見てきて、長い歴史の中で次々と新メンバーが増える一方でどんどん辞めていくメンバーもいて、わたしが一番夢中になっていた頃のメンバーはもう片手で足りるくらいしか残ってない。
本人からの言葉が一切なく突然FCから味気のない紙切れが届いた日から一度も会う事が出来なかったメンバーもいるし、もはやそれすらなくてしれっと存在をないものにされてたメンバーもいる。舞台の千秋楽で卒業式をやってくれたり、卒業イベントで挨拶をしてくれたメンバーもいる。
去っていったメンバーがあまりにも多すぎて、全部の気持ちに覚えてるわけじゃないけど、本当にDボとは色んなサヨナラをしてきた。大好きなメンバーに最後の挨拶すらして貰えないのも悲しくて涙が止まらなかったけど、かと言ってイベントと言う形式でサヨナラを可視化されても結局わたしは号泣していて、笑顔で終われる脱退や解散なんて今まで一度もなかったなぁ。
でも、そこにいなくなっても、舞台やテレビで活躍してる姿を未だに見ることが出来るメンバーがほとんどと言うのがせめてもの救いだと感じる。

Dを辞めたメンバーは沢山いても、引退しない限り、また会えるのだ。
田口もWaTも橋本汰斗も、これから先テレビやステージで観る機会は沢山あるはずだけど、今後わたしたちは山口賢貴には余程の奇跡がないと会えない。
芸能人と一般人として出会ってしまったわたしたちは、相手が芸能人じゃなく一般人になってしまったら、奇跡が起こって街中で遭遇するとか、必死に知人のコネを辿って本人にたどり着くとか、そーいう想定外の何かが起こらないとこの先一生会えない。
どんなにわたしが願っても、1万人の署名を集めても、きっと豊田裕也と浜尾京介の共演を見ることは叶わないのだ。鈴木和也や中村康平が通たちと蛙の姿で踊ってるのは一生見られないのだ。
所詮わたしたちと彼らの関係は芸能人とそのファン以外の何物でもなく、あんなに応援してたのに、あんなにお金を使ったのに、そんな事をいくら言ったって、たった一言である日突然目の前から簡単に姿を消して、二度と現れる事はない。
そんな引退の残酷さと比べたら、脱退や解散なんて蚊に刺されみたいなものだと思う。

ミュヲタにはとっても有名な話だけど、わたしの好きだった俳優の1人は、ある日突然事務所から解雇され、芸能界から姿を消した。
何年か経って顔も名前も変えずにしれっとまた姿を現して、そして何年か経って今度は悪い事をして犯罪者になった。
わたしはそこまで入れ混んでなかったけど、何度も振り回されて、最後は最悪な形でわたしたちを裏切った。どうしようもない男だ。
そんな奴に比べたらどんな人の脱退や引退も誠意のあるように見えてしまうよね。

何度もこのブログに出てきているわたしの大好きなこどものおもちゃで、「会えなくなるって死ぬ以外ないだろ。会う気があれば死んでなきゃ会える」って言う羽山の台詞があるけど、それはリア友だから言える事だ。
そりゃ手段を選ばなきゃ会える可能性もゼロではないけど、引退するって事は自分の応援してた芸能人としての彼は極論死んだって事になるし、やっぱり解散や脱退ではなく引退と言う選択をさせてしまったら未来永劫バイバイなんだよね。

 

なんか、こんなに頑張っているのに、こんなに必死なのに、こんなに応援したのに・・全部最後は彼らの耳や心には届かないんだなぁ。やってきた事全部が彼らの一言で一瞬にしてゼロになる。わたしはこんなにも儚い趣味を知らないよ。
俳優ヲタをやっている友人は、「明日どうなるかわからない刹那的な存在だからこそ、行くか行かないか、観るか観ないか悩まずに目の前に与えられた推しの仕事は全部行く」と皆言う。
でもわたしは、そのいつかやって来るかもしれない明日を迎えた時に、今まで使ってきたお金と時間と手間を返せよって怒りに変わってしまう事が怖くて、これだけ色々なものを費やしてきてよかったなって思えるところで応援する事を辞めた方が精神衛生上は賢い選択なんじゃないかと思う。
楽しい事は間違えない。幸せな気持ちになる事も間違えない。
だけどいつまで自分の夢中になってる対象の存在が自分の目の前にいてくれるかは誰にもわからない事で、色んなものを何年も犠牲して応援してきたって本人の意思や環境によってある日突然取り上げられてしまうかもしれない、と言う恐怖は常に持ち合わせていなきゃいけない趣味だと思う。

今のご時世、ガーデニングや旅行が趣味でもそれを国から明日からやっちゃいけません!って言われる事はないと思うけど、わたしたちの趣味はそれとは全く違くて、いつそれを奪われるかわからなくて、それは一人の努力ではどうにもならなくて、本当にわたしたちは儚い存在を好きになってしまったんだと思う。
永遠が約束されないから皆夢中になるんだろうけどね。アニメと違って年取るしね。20歳の彼はその1年しか見れないしね。

 

要するに、在宅してる場合じゃないよ、追うなら悔いのないようにとことん追っかけまわせよって事が言いたい。
最後はわたしのやっている事は無力で無意味になるかもしれないけど、少なくとも今現役で頑張ってる俳優やタレントの彼らはヲタクたちが沢山応援、つまり沢山お金を落としてあげる事できっと助かっていると思うから、今やっている事に生産性を感じる間は、今費やしているお金や時間への対価がしっかり受け取れていると感じられる間は、全力で誰かの他力になっていたらいいと思う。

 

「行けないけど応援してます」とか「愛は通った数やかけたお金じゃはかれない」とかのたまう茶の間が時々いるけど、そんな人たちがお家の中で大声で頑張れ頑張れ言ってるのは彼らを応援していることにならないとわたしは思ってる。
うちのお母さんかコウノドリ見ながら「綾野剛かっこいいわ~」って言ってるのと何も変わらないと思う。
愛とは、応援とは、つまりお金だ。
明日いなくなってしまうかもしれないから、好きなら惜しげもなく、時間とお金を使おう。