ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

月刊「根本宗子」第13号/夢と希望の先

※この作品が上映されたのは3年前(2016年秋)の事です。
超超ロング感想を書いたのですが書き終わらず3年が経ってしまいました
※でも5,500字書いた当時の自分をねぎらう為に今更UPします


人生で1番、とは言い難いけども少なくとも今年一番と断言出来る作品だった。
ありがちな嘘くさい言葉を並べるのは嫌だけど、それでも「心が揺さぶられる演劇ってこう言う作品の事を言うんだな」って言うなんともテンプレート通りの感想を口にしてしまうくらい、わたしの中で色々なモノが動き感情がめちゃくちゃに掻き乱された作品だった。

今回の「夢と希望の先。」は2年半前に上演された第9号「夢も希望もなく。」のセルフリメイク作品だと言う事だけど、わたしが月刊根本宗子と出会ったのは9.5号の「私の嫌いな女の名前~」からなので、残念ながらリメイク前の作品は観れていない。
ただ、わたしが9.5号を観た事を知った郷本直也さんファンの友達(夢も希望もなくには直也さんが客演で出てた)に「あんたは絶対前作も好きな感じだと思う」と言われていた。その9号のリメイク上演だ。

ねもしゅー舞台ではお決まりになった時間の2軸・3軸構成。
女子が住んでいるんだろうと想像出来るような人形や洋服が並べられた古びた1Kアパートが舞台上に2部屋。
下手側は女優を目指して茨城から上京してきた20歳の女子(橋本愛)、上手側は疲労のたまった腰を叩きながらスーツを脱ぐ30歳の女性(根本宗子)、まぁ始まって数十分ですぐに判明するんだけど左右の女子は同一人物で、一人の「幸子」と言う女子の10年前と今を別次元で橋本愛ちゃんと根本さんが演じていた。

20歳のさっちゃんは24歳の作家志望?クリエイター?表現者と言う名のフリーター優ちゃんと半同棲をしていた。
優ちゃんは才能なんてなかったし、それを賄う努力をしようともせず、さっちゃんの部屋に転がりこんで創作活動()に勤しんでいた。
さっちゃんは上京した田舎者の自分に新しい事を沢山教えてくれて新しい世界を沢山見せてくれる優ちゃんの事を心の底から愛していたしこの人のためならなんだって出来ると思っていた。優ちゃんには才能があると思っていたし、このまま頑張ればいつか売れる作家になるとずっと信じていた。
優ちゃんはさっちゃんが自分より上手くいく事が許せなくて、自分が持っていない才能を持っているさっちゃんが許せなくて、所属している劇団を辞めて欲しいと頼んだ。
田舎で一緒に夢に向かって頑張っていた幼馴染で親友のえっちゃんにいくら反対されても、後悔するよって言われても聞く耳持たなかった。
今もさっちゃんにとっては15年以上一緒に過ごした田舎の幼馴染よりも、たった出会って半年のクリエイター志望と言う名のクソ男の優ちゃんの方が大切だった。
さっちゃんはえっちゃんの反対を押し切って劇団を辞めた。
最終選考まで残ってたドラマのオーディションにも行かなかった。
女優も辞めて普通のOLになった。自分の夢をあきらめても優ちゃんが隣にいてくれれば平気だった。
いつか優ちゃんが夢を叶えて、今まで支えてきた自分の事を幸せにしてくれるって信じてた。
20歳のさっちゃんに後悔なんて1つもなかった。

10年後、30歳になったさっちゃんは、まだ優ちゃんと付き合っていた。
優ちゃんはお弁当に入っているバランの工場で夜勤をするフリーターになっていた。
創作活動はもう全くしていなかった。
家賃も含めた生活費は全てさっちゃんが払っていた。
自分の夢を諦めさせた優ちゃんは、何の努力もしないで自分の夢も諦めた。
10年付き合っているさっちゃんにはほとんど何も買ってあげた事なんてないのに、さっちゃんの留守中に合コンで知り合った若い女の子と浮気をしていた。
得体の知れないロリを着た若い女子に1万円くらいするプレゼントを買っていた。
さっちゃんが10年付き合ってて優ちゃんから貰ったプレゼントはゲーセンで手に入るようなキティちゃんのぬいぐるみ1つだけだった。
その浮気を責めるさっちゃんに対して「この子はこんなどうしようもない俺の事必要としてくれてる」「10年前、俺は強制的に劇団辞めさせた訳じゃない、辞めて欲しいと言っただけ、さっちゃんは自分の意思でやめた」「別れたかったけど10年も付き合っててもう自分から別れようと言える空気じゃなかったから浮気がバレてさっちゃんから別れを切り出してくれないかと思ってた」・・・。
20歳の可愛くて夢も才能のあったさっちゃんは、クソ男優ちゃんのせいで人生をめちゃくちゃにされ、夢も希望もない30歳になりましたとさ。

・・で、終わらないのがねもしゅーの世界。
30歳のさっちゃんが後悔の念に押しつぶされそうになっている時、下手側の10年前の自分に話しかける事が出来てしまう。
今まさに劇団を辞め、自分の事を一番に想ってくれている幼馴染のえっちゃんの気持ちを無視し、俺色に染めたいと言う気持ち悪い優ちゃんの意思の元茶髪にしようとし、今のクソみたいな生活を送るきっかけになったしまった第一歩を踏み出そうとしている10年前の自分にストップをかける。
でも20歳のさっちゃんにとっては優ちゃんの隣にいて優ちゃんが成功する前隣にいて支える事がいちばん大切だし最良の選択だと思っている。
10年後のボロボロになった自分にいくら止められようともその気持ちは揺るぎない。
「さっちゃん泣かないで!大丈夫!わたしは今優ちゃんのそばにいたいの!優ちゃんがわたしの全てなの!後悔するかもしれないけど、さっちゃんはそんなに弱い子じゃないはずだよ!自分の事だからわかるよ!だから前に進もう!立って、さっちゃん!」
もちろん10年前の自分と会話が出来るのは10年後のくたくたになったさっちゃんの、
「10年前のわたしに会う事が出来たらあの時女優を辞めないでって声をかけられるのに」と言う願望であり妄想なんだけど、「女はどんな事があったって、頭おかしい妄想をして前に進むしかないのだ!!!!」と言うメッセージの元、結局10年前のさっちゃんの軌道修正は出来ずに、20歳のさっちゃんと30歳のさっちゃんは笑顔で一緒にミュージカルアニーの主題歌「Tomorrow」を歌って幕は閉じる。

 

20歳のさっちゃんに話しかける事が出来るようになるまでは想定内と言えば想定内。
舞台構造としては「もっと超越した所へ。」に似ていた。
でも、折角過去の自分の軌道修正をするチャンスに恵まれたのに、30歳の自分がめちゃくちゃになろうとも「大丈夫だよ!わたしなら立てるよ!」って言う声援を送るだけで20歳のさっちゃんはそのまま優ちゃんと一緒にいる事を選んだって言うのが究極に女の精神構造を理解したラストでよかった。

「昔の苦い思い出があるから今のわたしがあるんだよ」「過去の経験を糧に今を生きよう」みたいなむかつくきれいごとを並べずに「めちゃくちゃ後悔してる」「うんだろうね。でもお前が選んだ生き方なんだから、辛くても生きろ」って言うなんとも無責任なところがよい。
これで、30歳の自分に諭されて優ちゃんと縁を切るような展開だったら絶対冷めてた。未来の自分にあれだけ忠告されてても今を生きる、今一番夢中になれるもの・愛しているものを選んで真っ暗な展開が訪れる事を全く抑制出来ないところがわたしはさすが根本さんだったなぁと思った。

10年後の自分だから、10年間を生きた自分だから今の選択を「間違った」と判断出来る訳で、20歳の自分は、今の自分は誰もその選択が間違ったかなんてわかんないんだもん。その時点で間違ってるってわかってたら誰もそれを選ばないでしょ。
わたしだって10年前に戻れたら、コスプレに明け暮れてないできちんとキラキラJK生活を送りながら合コンに行ったり友達の紹介で他校に通うDKを付き合いながら帰りにミスドでお茶したりプリクラ撮ったり制服ディズニーデートしたりしたかったよ。
だけど10年前のわたしは平日は被服室で衣装を作って週末はコスプレイベントに出かけてレイヤー仲間とヲタカラするのが一番人生を豊かにすると思ってたんだよ。
今回のさっちゃんはその後悔の対象が「優ちゃん」と言う一人の彼氏だったけど、彼氏じゃないとしても誰でもあの時こうしてよかった、選択間違えたって思う過去の出来事って沢山あるでしょ。
優ちゃんは他人から見たら本当に全てがクズでカスでどうしようもない男だし、観客と言う目線で見たらなんでさっちゃんがそこまでこんな男に魅力を感じて執着してるのか全く理解出来ないと思う。
でも自分がさっちゃんと同じ立場だったら、さっちゃんと同じ歳だったら、何も知らずに田舎から上京してきて同じように夢を追ってる東京の男がいたら、きっとすっごくキラキラした存在に感じてしまうし、この人の夢を支える事で自分も頑張れると思うし、上京したてでまだ友達があまりいない状況でかっこいいクリエイター志望の男が自分を愛してくれたら、きっと自分の心の支えであって希望の光になっちゃうと思う。

女は必ずしも「正しい道」が「最善の道」ではないし、誰かや何かに夢中になっている時に判断能力を著しく低下させてしまうのが女と言う生き物なんではないかとわたしは思っている。

 

客演だった元(あれ?復活したんだっけ?)BiSのプー・ルイちゃんを迎えていて、プーちゃんに大森靖子の歌を歌わせ、「さっちゃんのセクシーカレー」を劇中に使う為にこの曲をイメージソースに脚本を書いたんではないかなぁと思った。
もう世に出ている既存の楽曲をテーマに脚本を書く事自体は全然いいと思う。
でも多分冷静な目でこの作品を観ていた人はあそこで一気に冷めたんじゃないかなとも感じるシーンだった。
さっちゃんに「わたしの夢を邪魔しないで!!!えっちゃんは人と付き合った事ないからわたしの気持ちなんてわかんない!!!消えて!!」ってめちゃくちゃひどい事を言われた幼馴染のえっちゃん(歌手志望)が、「わたしに会いたくなったらこのCD聞いてみてね」って一枚のCDを置いて出て行って、10年後にあの時のえっちゃんの忠告を聞かなかった自分を後悔して大泣きしながら初めてそのCDを聴くんだよね。
それが大森靖子の「さっちゃんのセクシーカレー」。
わたしが大森靖子を知ったのはそもそもねもしゅー舞台からで、大森さんの楽曲の中でもインパクトの強いセクカレの事は気に入っていた。
今作品を観ている最中にセクカレじゃんこれ!!!ってなった訳ではないけど、プーちゃん演じるえっちゃんが田舎の縁側に立ってマイクを持って、イントロが流れた時、全てが繋がって、この舞台ってもうはなっからこの曲の為に仕立てられた作品だなぁとすぐに思った。あの曲の主人公は多分男の子だけど、ある男の子が大好きな幼馴染の女の子の事を思っている曲で、自分を置いて東京に行って大人になっていって知らない女の子になっていく事が悲しくて大人にならないで欲しいと訴える。
えっちゃんは意思の弱い自分と違って高校卒業したら東京に行く!女優になる!!と強い気持ちを持っているさっちゃんに憧れていて、自分にとって特別な存在なのに、東京に出て変な彼氏作ってきれいな黒髪を茶髪にしてしまうさっちゃん。
わたしを置いて大人にならないで特別なままでいてって言うえっちゃんの気持ちとあまりにもシンクロしすぎる曲だった。


他の人の感想を読んでいてもセクカレばかりが話題なっているけど、もう一曲使われていた「I&YOU&YOU&I&YOU」も使われ方が絶妙すぎて、この曲が流れるのは中盤なんだけど、舞台が始まってわたしが初めて涙を流したのはここだった。
さっちゃんが上京してきてからの数少ないお友達杏奈ちゃん(長井さん)が、バンドマンの彼氏が作った曲でたまにわたしもライブハウスで歌うんだ~ってさっちゃんに披露してくれた曲。
元々はタンポポの曲だけど大森さんがカバーしてるから根本さんはそこから取ったのかな。
タンポポが歌ってる時と大森さんが歌ってる時全然雰囲気違うからハロの曲だって全然気付かないけど。
この曲は付き合いが長いカップルの彼女が自分の恋人の事を歌っていて、何年経ってもいつまでもドキドキときめいてたいよーーーって言う贅沢だけど切実な悩みを書いた曲。
杏奈ちゃんはこの時点で4年くらい彼氏と付き合ってたのかな?わたしは4年も同じ人と付き合ってた事ないから杏奈ちゃんの気持ちを100%理解は出来なかったけど、やっぱり付き合いが長くなればなるほど当初のドキドキってどんどんなくなってくもので、一緒にいて違和感なくているのが当たり前で家族といる時みたいな心地よさになっていくのはよくわかる。
だけど映画を観たりキスする時くらいは何年経ってもドキドキしてたいなー!って曲で、タンポポが歌ってた時からずっとずっと好きな曲だったから今回劇中に流れてすごく嬉しかったな。

 

根本さんはいい歳こいてすごい厨二病だし、10代の頃にこじらせたまま三十路に差し掛かってしまっているのが物凄くわたし自身とかぶっていて観てて辛くて痛いんだけど(わたしのが若干年上だからいつも数年前の自分の再現Vみたいな作品に自爆している)、こじらせにこじらせて世の中を斜に構えて見続けた結果、バイアスかかりすぎて逆にそれが最近すごく真っすぐに純粋な感情に見えるようになってしまったのはわたしだけかなぁ。
なんて素直な演劇なんだろうって思っちゃう自分の感覚がちょっと心配。