ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

そして君はスターになった

※以前書いた事のある話との重複も多いただの痛い元JKの思い出話です。

 

わたしは王様のブランチの買い物の達人が大好きです。
物件リサーチも好きだけど。
そんな買い達のゲストが宮野真守さんだった。
降りた人がいつまでも古参ぶってるの嫌いなんだけど、最近ますます彼のメディア露出が多くて、結局出てると観てしまう。
声優なのに風邪薬のCMに映像つきで出ちゃうって何事?いい声で「ピンポーン♪」とか言ってんじゃねえ。
声優界のプリンスってちやほやされてる姿を見るととってもくすぐったいと言うか、どうしても毎回昔の痛々しい自分の事を思い出してなんとも言えない恥ずかしい気持ちになる。

わたしはかつて宮野真守のヲタクでした。
知ってますか?宮野真守って人。
十数年前はヲタクにこの名前を出したって、まだ誰それって言われる事の方が多かった。ホスト部の環とかデスノの月やってた人って言ってやっとあぁあの人かってなるくらいだったんだよ。

わたしはヲタクだけどアニメには全く興味がない。
同時に、声優にも1ミリも興味がない。
わたしは声優宮野真守のヲタクになった事は一瞬もなくて、わたしが好きだった宮野真守の職業はいつだって若手俳優だ。

 

わたしは『原作で好きなキャラを舞台で演じた俳優を好きになる』と言う現象が今まで本当になかった。
と言うか舞台化されるような漫画やゲームの原作を元々好きだった経験があまりないのだけど。
どちらかと言うと、好きな俳優がその役をやる事が決まって、原作読んで(観て)そのキャラ推しになるって事の方が多かったかな。
そんな中、唯一原作起点で好きになった俳優が宮野さんだった。
ミュヲタですら「マモが昔テニスに出てたのは聞いた事あるけど何役だっけ?」レベルの記憶かもしれないけど、彼は不動峰の石田鉄役だったのです。
熱狂的なヲタクな訳じゃなかったけど、青学でどストライクなキャラがいない中で不動峰が登場した時のときめきは覚えてる。
今もなお、2.5次元のキャラビジュ発表の時の「わたしの好きな◯◯くんはこんなキャラじゃない」って言う原作厨の嘆きはよく聞くけど、わたしもはじめに真守を見た時は細いしイケメンじゃないし全然穏やかキャラじゃないし、こんなの全然鉄じゃない!ってめちゃくちゃ文句を言った記憶がある。
けどよくある本人の人柄を見て中の人を好きになっちゃう現象ですよ。
今も大好きなんだけど当時から大好きだったんですよねーお調子者でいつも皆の輪の中心にいるタイプが。
それでバカだと尚いいんだけど真守はバカではなかったね。
もう普通にりあこでした。
頑張ればいつか付き合えると思っていた愚かなJK。

テニスの公演は勿論、しゅんりーとのユニットでやってる舞台ですら全通なんて出来なかった。
当時そんなにヲタクもいなかったし、やっぱりテニスの初代のヲタクの中ではさすがのわたしも若い方で。
20代のお姉様方も現代のヘアメ!!!みたいな強目のヲタクは存在せず、正直同人誌即売会に行くんですかって人もまだ多かった時代なので、わたしの顔面レベルは置いといても制服ってだけで若い子!ってキャストも割と甘やかしてくれたし、大した貢ぎもせずに通いもせず、そこそこに楽しい厨ライフを過ごせる時代だった。
合同で花出したり誕生日にメッセージ企画とかする◯◯軍団みたいな人たちもいたはいたけど孤独なファイターでも十分拮抗出来るくらいなヲタクの数しかいなかったしね。
いくら高校生と言えどもさすがにもうちょい頑張れよって思うけど5,000円以下のTシャツとかしかあげられなくてもいつも着てくれてたし、すぐに顔と名前覚えてくれたし、子役時代から彼についてたお世話係のおばあちゃんみたいなマネージャーも孫のようにわたしを可愛がってくれた。
遠征先のホテルが同じでマネージャーから「真守も今日ここに泊まってるのよ」って言ってくるとか正気の沙汰じゃない。
今の彼の握手会のスタンスはわかんないけど、きちんと前回書いた手紙の内容を受けて向こうから話を広げてくれる彼に本当に本当に夢中だった。

当時役者として出ていた作品は全部観に行ってたけど2006年のホスト部デスノで声優として少し知名度があがって、2007年のガンダム00でもう完全にこの人の職業は「声優」になってしまったんだなぁと感じた。
未だにインタビューでは「僕は歌手ですーとか役者ですーとか声優ですーとかそういう概念はないです」って言ってるし、今でこそ舞台も沢山出てるからわたしもあの人は声優なんだって感じるのはわたしのフィルターでしかないのだけど、その時はもう思考が偏りすぎて「役者の仕事より声優の仕事を選んだんだな」って裏切られた気持ちでいっぱいだった。
なんて自分勝手なの。

当時声優を務めていたアイシールド21のイベントを、彼は当日風邪と言う事でドタキャンした。
折角その為にバイトのシフト調整して可愛いお洋服買ってメイクもばちばちに頑張ったのに当日の欠席、落ち込んだけど体調悪いし仕方がないと思った。
仕方なく真守不在のイベントに参加する中、真守がよく行くコンビニでバイトしているヲタク仲間から(よくない事ですが)「さっきマモ女の人とうちの店来たよ」って連絡が入って。
りあこ真っ最中のわたしはイベントを仮病で休んで女とコンビニで買い物してるなんて最低な男だ!!!とヒステリックに激怒してしまった事を覚えている。
でも恐らくこの時の女性が今の彼の奥さんで、別に仮病で女と出かけていた訳ではなく、具合が悪くて近所のコンビニで彼女と体調悪くても食べれるものでも選んでいたんだと思う。
冷静に考えればどうやったってわかる事だったけど、そんな事判断出来るような正気の脳みそは持っていなかった。

はじめは声優仕事のイベントも行ってたんだけど声をあててるアニメも全く興味なかったし観てなかったし、惰性で通うのも違う気がしてきて。
かつ母親が病気になって一時期追っかけとか出来る状況じゃなくなった時期があって、2007年の鋼鉄三国志のCD発売イベントで「就職するまでもう会いに来ません」って最後の握手をしました。
彼には「就職決まったら報告しに来て!!ちゃんと親孝行するんだよ!!!」って握った手をぶんぶん振り回して言われた事を今でも鮮明に覚えています。

そしてその翌年の12月1日。わたしはまだ学生だったその年。
多分一生忘れない2008年12月1日、彼は5年付き合っていた一般女性との結婚を発表しました。
声優としても人気が出始めた頃だったし普通に考えたら絶対公表しない方が人気に影響出なかったと思うけど「ファンを思って」と公表しちゃうところがどこまでも素直で、鈍感で、彼らしいなぁと思います。今思えばね。
しかも出来婚ですよ。そりゃもう、成人ほやほやのりあこ女子大生にはあまりにショックが大きすぎました。
ショックで泣きすぎてゲロ吐いて学校休んで二日間寝られませんでした。
今考えると面白すぎるだろ。
デスノでLが死んだ日に学校休んだのも未だに伝説として語り継がれる程笑えるけど。

 

世代が昭和おばさん丸出しだけどこの曲を聴いてひたすらに毎日泣いていました。

あなたの事ばかりを考えてしまうんだろう
始まってもいないのに恋と呼んでた

始まってもいないのにwww恋と呼んでたwwwまさにwwww
‥‥みたいな^^

 

その時にわたしをどん底から救ってくれたのが最後の推しである彼と、紛れもないミュージカルテニスの王子様だったので、結局このどうしようもないりあこの病み気()は自然治癒に向かった訳ですが、
結局就職したら報告しにくる!って勝手に現場に行かなくなる

出来婚公表される

ショックで再起不能になる

就職してりあこ病もおさまった頃には気づけば会いに行けない大人気声優になっていた

と言う事で、2007年の鋼鉄三国志のイベント以降、彼とは一度も会えていません。
ドリライのゲスト会を観に行ったり生での彼の姿を「見た」事は何回かあるんですが、13年間彼とは会話が出来ていません。
わたしはとっくに学生じゃなくなり、とっくに就職しましたが未だに就職した報告は出来ていません。

ヲタクが数十人しかいなかった時代に結構熱心に追ってたのと、わたしの本名が割と珍しくて毎回結構いじられてたので名乗ったらあの時のクソガキかってわかってくれるのでは?と言う友人と、これだけヲタク増えたんだからさすがに覚えている訳ないと言う友人、勝手に賭けの対象にされています。
わたしも10年越えたらさすがに認知は切れてると思うんですが、やっぱり今もどこかで直接大人になった事を伝える機会がないものかと思っているのです。

声優畑の事は全くわからないですが、接触イベが狭き門なのもわかっています。
でももし奇跡的に彼と直接喋る機会に恵まれたらら、三十路過ぎのどこの誰だかわからない女として「無事に就職しました」と報告して「???」ってなられたいです。

と言うただの元りあこの思い出話でした。

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