ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

バスロマンス

別にお風呂の話をする訳じゃない。わたしが好きなチャットモンチーの曲で、自分が披露宴をする時には絶対に流そうと思っている曲の一つ。

高校時代の友達の結婚式に行ってきた。別にこの歳になれば友達の結婚式に出るのなんて初めてじゃないし、今までそりゃもうたっぷりとご祝儀を搾取されてきた。
でも、今回結婚した友達はわたしにとって特別、というかとっても特殊な友達で、感じる事が沢山あった。

高校1年の時、すでにヲタクでレイヤーだったわたしは校内にお仲間が欲しくて、でもいかにもーなキモヲタは嫌で(わがまま)普通のJKに擬態しているヲタクの炙り出しに精を出していた。

服作るのが好きだと言ったはじめのHRでの自己紹介で釣れたのが今回結婚したKだった。
ワンレンの黒髪で、片目が隠れていて、全身黒い服で、マーチンを履いているような絵に描いたようなバンギャだったので見た目ではクラスから完全に浮いてたけど、見かけによらずコミュ力が高くて人当たりのいい性格だったので入学してすぐに友達が沢山いるようなタイプだった。
バンギャだろうなーヲタクではないかもしれないけど友達になりたいなーと思いながらも人見知りのわたしは数日間声をかけられないでいた。
数日後トイレでたまたま出くわした時に向こうから、「服作るの好きってこの前言ってたよね?そーいう部活この学校ないし作らない?」と声をかけられた。
なんて行動力のある人なんだ。まだ15歳だぞその時。

入学して数日でそんなご近所物語みたいな事があってテンションの上がったわたしはすぐにKと仲良くなった。
話を聞くとやっぱりバンギャで、当時彼女はサイコルシェイムやピエロのコスをして週末は原宿の神宮橋に集まるような生活を送っていた。(顔はGLAYのHISASHIに似ていたので学年皆から8組のHISASHIみたいな女と認知されていた)
テレビや漫画の類をほとんど見ない子だったので、レイヤーに偏見はなくても二次元のコスプレをやってるとわたしが言うとすげーバカにされた。
でもそのまま仲良く部活を作って、Kが部長でわたしが副部長で、同好会から部活に昇格するために(同好会なら1人からOKだったけど部活になるには部員6人以上の調達と顧問の先生が必要だった)2人で奔走して、2年生になる前に部活になった。
文化祭でフリマをしたりファッションショーをしたり、何でもない日は週末に向けてひたすら衣装を作っていた。

はじめは漫画なんて読んだ事ない子だったけど、わたしや他のヲタク友達に薦められてだんだん漫画を読んでくれるようになったKは、入学して1年足らずで、入学時にはあんなにバカにしてた二次元のコスプレを一緒にしてくれるようになった。わたしより細くて身長が高くて顔も美人だけどクールで男っぽいので、わたしがやりたいけど出来ないキャラを沢山やってもらった。

わたしが銀魂で神楽をやれば銀さんをやり、デスノでミサをやれば月をやり、ゾンゼロで三郎をやれば志摩をやり、テニスで神尾をやれば伊武をやり、ハウルマルクルをやればハウルをやり。
身長差、体格差、顔の形、どれをとってもどこも似てないわたしたちは一緒にコスプレ活動をするのにもってこいだった。
学校にいる時も休み時間や部活で一緒にいるし、休日はイベントで会うし、とにかく常に一緒にいた。でもよくも悪くも趣味で繋がる最高のパートナーと言う感じで、それ以外のプライベートの事はお互いあまり語らなかったし興味もなかった。
だからいわゆる恋話と言うのも一切した事がなかったし、その時彼氏がいたりしても特にそれを報告したりするような事はなかった。

でも将来に関してはよく色々な事を話した。Kもずっとアパレル志望でオートクチュールのデザイナーを目指していた。
わたしはそんなクリエイターを支えるバイヤーやプレスを目指していて(でもわたしは口だけだった)、将来ブランドを立ち上げたら一緒に仕事をしようなんて高校生らしい夢物語を語り合ったりしていた。
Kは高校生だけど独学ながら普通科の高校にいるのがもったいないくらいセンスがあって、おままごとみたいな洋服作りをしてるわたしにとって本当に憧れの存在だった。でもちょっとぶっとんだ性格だから世間知らずなとこもあって、そこをわたしがフォローしたり、性格は全然違ったけど我ながらすごくバランスがいい関係だったと思う。

同じクラスだったのは最初の1年だけで、2年3年は別のクラスだった。クラスが別れても部活では一緒だし2年になっても仲はいいままだったが、2年の終わりの方からわたしがテニミュにハマってコスをあまりしなくなった事と、3年になって引退した部活になかなか顔を出せなくなってきた事もあり疎遠、とまではいかないけどはじめの2年ほど一緒にいる事はなくなっていった。
コスと漫画と言う趣味で濃密に繋がっていた間柄で、濃密だったけど所詮それだけで、わたしがそこから離れていくと必然的に一緒にいる時間は少なくなっていった。わたしがきっかけで二次元のコスを始めたのにKは一人でどんどん違うジャンルにハマってわたしの知らないレイヤー仲間も沢山作ってて、この楽しさを教えてあげたのはわたしなのにな…と寂しくて悔しく感じてたな。

学校でも、Kのクラスにはタバコで無期限活動停止をくらっちゃうようなヤンチャな軽音部が固まってて、V系バンドの趣味が合うそのグループとの方が仲良くなってて、卒業を控える頃にはわたしたちは完全に別のグループになっていた。
わたしもKも夢を目指して服飾系の大学に進学したが学校は違くて、入学してしばらくは連絡を取り合って情報交換をしていたが、それも課題や趣味で忙しくなって段々となくなっていき疎遠になってしまった。
わたしは大学に入学してからはますます俳優業…もとい俳優追っかけ業が忙しくなり、時間的にも金銭的にもコスプレをする余裕がなくなっていった。
それに加えて、ここでも何度か書いた事があるが、普通科では洋服作れるなんてすごいねーとか言われて調子に乗ってた一般のJKだったわたしは服飾大学に進学したら本当にポンコツで、本気出してもいつでも問題児で、才能の塊だと思っていたKみたいな人間がクラスにうじゃうじゃいて、完全に自信をなくして現実逃避で学業をおろそかにきてどんどん俳優にハマっていった。夏休みの課題は毎年3月に提出していた。1年の前期の必修科目を落とし続けて結局4年の前期までその授業を受け続けていた。

小学校の頃からずっと大好きな洋服に関わる仕事がしたいと、出来ると信じてきたのに入学して数ヶ月で心折れてまともに授業も受けなくなった自分をKには見せられなかった。
真剣にデザイナーになると語っていて、大学に入っても外部のコンクール出たりデザフェスで手作りの服を出したりしてるKに合わせる顔なんてなくて、わたしはこのままずっとKとは別々の人生を歩んでいくんだろうなと思っていた。

mixiで繋がっていたのでお互い何をしてるかはある程度把握していた。連絡をとらなくなってしばらく経った頃に、どうやらKが忍たまにハマってるという事を知った。
当時忍たまがめっちゃ流行ってた時期で(全盛期ではなかったかな)まぁ流行りジャンルが結構好きなKがハマってても別におかしくもなんともなかったんだけど、更にしばらくしたある日、年単位で会ってない彼女からいきなり電話がかかってきたのだ。
開口一番すごい勢いで謝られて、謝ってもらわなきゃいけない事なんてあったかなぁと考え込んだんだけど、謝罪の概要をざっくり言うと「高校時代テニミュに夢中になっているあんたを散々馬鹿にしてきたけど今日初めて忍ミュを見に行って素晴らしさに感動して号泣した」と言う事だった。
2.5次元と言う言葉はまだ存在してなかったけど、Kがわたしのテニミュ好きを認めてくれたのは忍ミュがきっかけだった。

これを機にまた高校時代のように連絡を取り合うかと言えば特にそういう事はなく、どこでも話題になるけど同じ2.5次元舞台を観ていてもなかなか分かり合えないのが俳優厨と原作厨。
mixiでKの感想を読んでる限り、その時点で5年くらい俳優のヲタクをやってきたわたしには到底理解出来ない感覚が並んでいて、実際会っても喧嘩するなーとお互いうっすら感じていて、その電話以降、連絡を取る事はなかった。
Kから電話があったのは初演の時。その時点でわたしは特に忍ミュには興味がなかったんだけど、それから1年ちょっと経ってとうとうわたしの推しが駆り出される事になった。慣れているわたしの方がいつも沢山チケットが確保出来るので、チケ発売の時期になるとチケ余ってない?みたいな連絡が来たけど、忍たまの原作厨のマナーの悪さで嫌な思いをしまくり、現にKも日記に騒いでなんぼみたいな事を書いていたので決してチケは譲りたくなくて、結局うっすらとした疎遠は続いたままだった。

だけどそんな中で一度だけ、サンシャイン劇場での公演中、マチソワの間に入ったカフェでKと隣の席になった事があった。
顔を合わせるのは実に数年ぶりだったし、大してメジャーじゃないカフェに同じ時間にいて隣同士になるとかあまりにびっくりしすぎて大きな声を出してしまった。
でもお互い同行者がいたし、隣の席になったからと言って忍ミュに対する感想を白熱しながら言い合えるような同じ価値観を持ち合わせていなかったし、かなり気まずくてそそくさと店を出た記憶がある。

それが、最後にKと会った記憶だった(死んでないよ)。
それから3年、4年くらい経つのかな。全く連絡を取らない日々が続いた。
スマホに変えてLINE文化がここまで蔓延する前から連絡を取っていなかったから、LINEすら知らない状態が数年続いた。
そんな中去年の11月、卒業してから一度もやった事がない高1のクラス会が開催される事になった。わたしはKのLINEを知らなかったけど、幹事をしてくれた男子が当たり前のようにわたしに、「俺KのID知らないからグループ招待しといて」って言ってきて、そこで共通の友達を通じてやっとIDを聞き出した。
グループに招待した後に個人的に「クラス会行く?Hanaが行かなかったらぼっちだから行くのやめようかと思って」って連絡が来て、このクラスでは一番仲いい友達に今でもしてくれるんだなって嬉しく思った。

クラス会は本当に楽しかった。10年近く一度も会ってなかった人がほとんどだったから照れくささもあったけど、いい意味で変わってなくて。
当時あんなに仲がよかったのに今は疎遠になってしまっているKとわたしはお互いどんな距離感で会話をしたらいいかわかんなくてしばらくはギクシャクしていたけど、お酒が入ってしばらくすると、思い出話が止まらなくなった。

そんな中で突然結婚する事を告げられて、嬉しさよりも驚きのほうが数倍大きくて、すぐにおめでとうを言う事が出来なかった。
当時も最近のFBでも全く男の気配はなかったし、ずっと、手に職つけて一人でも生きていける人間になるって言ってたし、わたしもKはバリバリキャリアを積んでめっちゃ稼いで一人で生きていくものだと思ってた。そろそろ行き遅れと言われる年齢になってきたけど、でもなんとなく、Kよりは先に結婚するだろうなと思ってきたから、悲しい意味でも嬉しい意味でもなくただショッキングだった。

しかも11月に結婚する事を聞いて、式が1月だって。
こんなに会ってなかったから招待してくれるなんて思ってなかったから、招待してくれた事は嬉しかったけど。Kも、何年も連絡取ってなかったし誘っていいものかすごく悩んでいて、そのタイミングでこのクラス会があってよかったと言っていた。
 
わたしの高校時代の思い出は全部隣にKがいて、何年連絡を取らなくてもそれは変わらない事だ。
1年の2学期の始業式をサボって初めて担任に怒られられた事、文化祭の準備の為にめっちゃ早く登校して被服室に入ろうとしたらセコムが鳴って反省文を書かされた事、美術の授業でデフォルメ肖像画を描く事になった時皆芸能人描いてるのにわたしだけKの絵を描いてそっくりすぎて学年中に爆笑された事、一緒に勉強した記憶は全くないけど一緒に下らない事をした記憶はいくら挙げてもきりないくらい。

あんなに仲がよかったのに、同じ夢を持って頑張っていたのに、ひたすら努力して夢を叶えたKにわたしはずっと劣等感と引け目を感じて連絡を取れずにいた。
でもKが結婚して、わたしはやっとやりたい事に近い仕事を始めて、10年経ってやっと普通の友達として会えるようになった気がする。
Kに対するわたしの劣等感はきっと一生消えないと思うけど、わたしの人生の中で間違えなくKは大きな影響を与えた人物の一人だし、ずっと尊敬する友達。
旦那さんと仲良く、わたしともたまには遊んでくれると嬉しいな。
 
結婚おめでとう。