ポンコツ女の大行進

いにしえの若手俳優ヲタクの昔話

拝啓、ヲタクJKだった10年前のわたしへ

書きかけの記事は沢山あるんだけど全部何千字書いても言いたい事が伝えられなくてわたしの文章能力って本当に低いんだなぁと言う事を思い知らされる。
学生時代国語は基本的に5だったし口から出まかせを並べた読書感想文は大人には好評でおかしや文房具と引き換えによく友達の作文や読書感想文を代筆してあげたりしてたのだけど、大人になってからは活字も読まないし論文も大学卒業の時に書いたっきりで文章と向き合うのは漫画だけになってしまったから駄目だね。

って事で、気が向いた時だけ今週のお題に乗っかる。
わたしだけに言える事ではないけど、基本的にブログで長々と文章を書く人は興味のある何かをテーマに語ったふりして結局は自分とはこういう人間なんですって事を他人に知って欲しいだけだと思う。
わたしと言う人間が自己顕示欲の塊だと言う事は自覚してるので特に包み隠さず、俗に言う自分語りを堂々と!しようっと。

今週のお題「10年」
未来の事はあまり想像出来ないし想像してもその通りにならなかった事に絶望するから10年前の話をする。と言うか高校生の時の話をする。
10年前は女子高生だった。今考えるとどのエピソードをとっても痛すぎるヲタク女子高生だった。最近はあまり使われなくなった言葉だけど「香ばしい」と言う言葉がぴったりのJKだった。もし現在のわたしがTwitterで10年前のわたしを見かけたら鍵垢でRTしてめっちゃ爆笑してると思う。

中学入学くらいからわたしは「腐女子」だったけど、中学3年間は本屋さんで気軽に手に入るテニスのアンソロを読んでたりするレベルで、気持ち的にはまだ夢厨と半々くらいだった。卒業する時期になって、ヲタク業界には「コスプレ」と言う文化がある事を知って、高校入学と共にコスプレイヤーデビューをした。
そこからはもう腐女子まっしぐら。ヅラを買うお金を惜しんで毎回キャラに合せたやばすぎる髪色に変え、ド金髪に制服姿で池袋に繰り出す毎日。コスしてる時の癖で日常的なメイクも日々濃くなっていくしスカートは短いし、ただのコミュ障ヲタクなのにギャルと勘違いされ入学してから夏休みくらいまでは気付いたらクラスで一番派手なギャルグループにぶち込まれてて地獄のような日々だった。わたしはあんたたちと彼氏がどれだけラブラブかを聞くよりも宍戸さんと長太郎の床事情について語り合いたいと毎日思っていた。
入学から数か月間擬態で過ごしていたわたしの高校生活は夏前にあった親睦旅行みたいなもので大きく変わった。
軽井沢の街中をクラス単位で探索中、あるクラスメイトが興奮しながら「三笠会館」を写真に撮りまくっている。ちょっと待ってちょっと待ってお嬢さーーん♪多分察しのいい方ならお気づきだと思うけど、この頃三笠と言えばホイッスル!の三上と笠井な訳で。三笠会館と言うただの建物を興奮しながら撮ってるこの子はもうほぼ腐女子確定な訳で、この子の仲間になったらきっとありのーままのー姿で高校生活を送れる!とコミュ障のわたしはありったけの勇気を振り絞って聞いた訳だ。
「・・・笛?」
「・・・・・笛!!!!!!」
会話これだけ。入学してからまともな会話すらした事のないクラスメイトと二文字だけで突然心の友になった瞬間だった。
その子は既にクラスに仲間を数人見つけており、わたしが一人とお友達になった事でクラスメイト数人が同志である事が判明し、高校3年間(と言うか今でも全員定期的に飲みに行く大切な友達だけど)は彼女たちと楽しいヲタクライフを過ごす事になる。

同人誌を買い漁るのもTFTや晴海やとしまえんでコスプレをするのも本当に楽しくて、バイト代はほぼ100%ヲタクに費やした。被服室にある性能のいいミシンを衣装の制作に使いたくて服飾部を自分たちで作り、放課後は被服室に篭って週末の衣装を作る事に没頭した。ヲタクは抜きにして本当に洋服が好きで好きで、文化祭はファッションショーをやったりして、めちゃくちゃ楽しい3年間を送った。

基本的にジャンルはテニスとミスフルとホイッスルと言うスポーツ漫画三本立てで、一瞬NARUTOとかもハマったけどすぐ飽きてしまった。
ただ、ハマっていた期間の割にものすごくお金を使ったジャンルはDEATH NOTEで、多分ドハマりしてた時期は一年未満なんだけど一回のコミケで平気で4万5万使って月Lスペースをカニ歩き買いするハマりっぷりだった。何度か話した事があるかもしれないが、本誌でLが死んだ日は学校を休んだ。恐らくテニミュに出会わなかったらもっとずっとハマってたんだろうけど、わたしは浅く広くが出来ないヲタクなのでテニミュに出会った頃でわたしの体内に生きている二次元の成分はほぼ消滅してしまったのだった。

その頃、彼氏に浮気された挙句振られ意気消沈してるわたしに突然、隣のクラスのほとんど話した事のない子が、「Hanaさんってテニプリ好きなんだよね・・?だったらこれ、一回見て欲しいの!」ってDVDを渡してきた。テニミュのDVDだ。これがわたしとテニミュの出会いで、そのお付き合いはここから10年続くんだ。
なんで何の関わりもないこの子がわたしがテニス好きな事を知っているのかすごい不思議だったけど、合同体育の授業前後にひたすら大声でヲタクな話をしてたし、なんかブログに高校が特定出来るような事も書いてたからなんかモロバレだったようだ。
高校生のバイト代ではテニミュとコスプレの同時進行は厳しかった。妄想をしなくても自発的に毎日動いて物語を紡いでいってくれる若手俳優たちに二次元の力は勝てず、テニミュと天秤にかけられたコスプレはわたしの中でそのまま衰退していった。(そしてコスプレを辞めると太る訳で、わたしこの10年で8キロくらい太った。今の体型だとNARUTOのチョージとかしか出来ない気がする。悲しい。)
大声で少年漫画の話をしていた痛いJKは、高校生活半ばにして大声で若手俳優の話をする痛いJKに進化したのだった。そして当時あった2chの高校のスレに「○○(本名)、ジャニヲタすぎてウザい」と何者かに書かれるのだ。残念ながらジャニーズの話してる訳じゃありませんwwwwとか言ってたけどそういう問題ではないと言う事に当時のわたしは気付かない。呑気だなぁ。

これがわたしの10年前くらいの話。ちょうどヲタクとしての転機(対象が二次元から三次元へシフト)を迎えた時期だったんだなぁ。
確かに今思い返しても笑える楽しいエピソードが沢山あってものすごく楽しかったんだけど、ここまで書いたように趣味が楽しすぎて一切勉強をしない3年間だった。自分は一生服を作って、これで飯を食べて行くんだって何の迷いもなく思ってた。それで目をキラキラ輝かせて服飾系の大学に進むも入学してたった2ヶ月で自分がただの凡人だった事に気付いてしまった。普通科の高校では服作れるなんてすごいね、すごいね、ってもてはやされてたけど同じ志を持った人間が全国から集まった大学に行くとわたしはどんなに頑張っても下から数えた方が早くて、あんなに大好きだった服作りが本当に嫌いになってしまって、アイロンの匂いもミシンの音も吐き気がする程トラウマになった。
高校時代の自分の浅はかな未来設計を後悔するしかなかった。服が好きだから服を作る大学に行って服を作る事を仕事にするんだって、それ以外の選択肢を持っていなかった20歳前の自分はその先どう人生を歩んで行ったらいいのかわからなくなった。
そんな悩んでいるわたしの隣でテニミュは勝手に次の公演が始まる。この公演が終わってからもう一度考えよう、考え始めたら次の青学が発表されて、見に行って、どうにかなるだろうと思ってたけどどうにもならず、好きな仕事もやりたい事も出来ないまま大学を卒業して、好きでもない業界の好きでもない仕事をやりながらあと数年で30歳になる。

この歳で好きを仕事にしようなんて夢みたいな事は考えてないけど、もう少し高校時代大学時代に身の振り方を考えていればきっと違ったライフワークが送れてたんじゃないかなぁって今になって思う。
一番大切な時期の全財産と全時間を2.5次元に捧げてしまった事を正直後悔している。テニミュのせいでテニミュのせいでって言ってしまうけど厳密にはテニミュに夢中になりすぎた自分のせいで、なんだ。テニミュにハマってたって希望の会社に入って充実した社会人を送ってる友達も沢山いるし、ただわたしは自己責任から逃れようとしてるだけなんだけど。

わたしに初めてテニスと笛を貸してくれた友達も、初めてアンソロと言うかBLと言う世界を教えてくれた友達も、初めてコスプレを一緒にしてくれた友達も、初めてテニミュのDVDを貸してくれた友達も、全員結婚した!!!!!
三笠会館を撮っていた友達は結婚してないけど今は色んな国民的アニメの作画をやるアニメーターとして色んなアニメのエンドロールに名前が載ってる。

これから社会に出るヲタクの皆さん、今が楽しいのはわかるけど本当に10年後も今と同じ生活をしてていいのかじっくり考えて欲しい。
でないと、ほんとに!わたしみたいになるよ。

仕事辞めたいけど転職をする程経験もスキルもないのでさっさと寿退職したい。30歳までに結婚出来なかったら開き直って一生テニミュと生きていく気がしてならない。